# 070

私が地球から来たという挨拶。

私は愛と憎しみの世界から来た。

そこは回避の場所は運命がねじれたところだった。

そこは死の場所は生きるための食べ物だった。

そこは与えられた場所は聞いたことない贈り物だった.

私はdiviedされた橋の世界から来た。

そしてそこはたくさんの川が流れ化学物質が隠されていた。

私は空が公害で汚染された世界から来た。

そして刑務所はただ一つの解決でした。

貢献することがは殺人となる世界。

そして若さが聞こえない声です。

私は王と大統領が支配する世界から来た

そこは証拠が真実を正しく管理してない

魂の自由

一日がどんどん過ぎていくような冷たさ

私はこれ以上ない世界から来た。



私は金持ちと貧しい人、太った人とやせた人のいる世界から来た

他の人が休日に肉を薄く切るようにこどもが飢えているところ

私はおもちゃが子供の心に響く贈り物である銃やナイフであるところから来た。

そこはサンタクロースを信じるようにあなたに教えた。

しかし自分を信じることをあなたには決して教えていない

わたしはあなたそのものが好きだ



私は秩序と無秩序の世界から来た

そこは境界の横断が光景の発射を意味したところ

安全が殺し屋の光景からの夜であるところ

私は光を放つために来た

私たちはすべてを我慢できないのか

私はある世界から来た

私はこれ以上ない世界から来た



私は何百万人もの人が行進して、異なるドラマーに200の夏の歌を歌う世界から来た

欠乏と大多数の世界

少数と最後に優先することへのひとつのライン

秘密の婦人団体と会員のみ

年長者が孤独に死んでいったとき私は壁が引き裂かれる世界から来た

墓がつくられる間地球温暖化が警告されました

最後の日は近づいていました

しかし誰もが無知で聞くことができなかった

ただ髪に降り注ぐ毒をかぶる事とオゾン層という環境に

穴をあけること以外は。

わたしはこれ以上ないプレイヤーになりたくない

あなたの心配事のすべてが点数になるところ

私はある世界から来た

私はこれ以上ない世界から来た





オゾン層破壊について

上空のオゾン層は、生態形にとって有害な太陽から注ぐ強い紫外線を吸収することによりその影響が直接地表に及ぶのを防いでいる。このオゾン層なくしては、生物が4億年前に海から陸に上がることはなかったといわれ、その重要性は知られていた。しかし1928年に開発され各方面で広く利用されるようになった 100%人工的なフロンという気体の製造された分ほとんどすべてが大気中に蓄積していることが明らかになった。これは大気の高い浄化機能から考えると異例で、フロンが降水によっても除去されないきわめて反応性の低い安定した物質であることのあらわれである。そのフロンは長い時間をかけて成層圏へ上昇し、上空の強い紫外線を浴びてはじめて分解し、そこで塩素原子を放出することがわかった。そして成層圏に上昇したフロンから放出された塩素原子がオゾン層を減少させるということが言われるようになった。はじめはみんな聞き入れなかったが1978年にはスプレー缶へのフロンの使用がアメリカで国内規制され、オランダ、スウェーデン、カナダ、ノルウェーも続くという波及効果ももたらした。そして1985年3月に「オゾン層の保護に関するウイーン条約」の調印にまでこぎつけた。その後南極上空のオゾン層の低下が発見されしかもそれがアメリカ全土ほどの面積の穴がぽっかりと開いているのが確認された。これがマスコミによって「オゾンホール」と名づけられ、世界中に衝撃を与えた。

1987年にモントリオール議定書が採択され具体的な削減に合意、その後規制の時期を前倒しにするなど異例の改正が3度にわたって行われ、1995年末に先進国での特定フロンなど特にオゾンの破壊力の大きい物質の生産がほぼ全廃になった。しかしその後オゾン問題では大きな進展がみられずにいる。理由の一つには地球温暖化や生物多様性問題などの出現で地球環境問題への関心が分散したことも挙げられるが、特定フロン全廃で一段落したととられがちなオゾン問題に関して、産業NGOは相変わらず熱心だが環境 NGOは熱がさめ、政府にとって規制を行うイニシャティブが弱まったことがある。

成層圏オゾン層が破壊されて本当に恐いのは人間の皮膚癌よりも生態系全体や気候への影響である可能性が大きい。人間が生活に便利なものとして開発して利用したフロンというものがこんな問題を引き起こすとはその当時だれも考えていなかっただろう。現在これにより地球の存在自体が危ぶまれている。一刻も早くこの問題を解決していかなくてはならないと思う。そしてこれから一人の地球人としてみんなが地球環境保全を考えていかなくてはならないとおもう。